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ママミルクに捧げる
夏に食べた無花果の味は忘れない。昼下がりのワインの酔いも。
遠い異国の光の便り、いや、ノマドたちの笑い声や、
女たちが輪舞(ロンド)するきぬずれの音だって届きます。
世界の果てへつれてって。それが恋というもの。でしょう?
アコーディオンとベースが奏でるmama!milkの3枚目のアルバムは、永遠の夏の狂詩曲(ラプソディー)がつまっています。
夏は去っても、夏はまた回帰するのです。
August!
くり返される赤い歓喜、そして黒い哀しみ。コメディとトラジディ。
優しくみえて、業火のような恋を生きる人たちの旅路に、なんと似つかわしい音楽で
しょうか。
後藤繁雄(編集者/クリエイティブ・ディレクター)
プレイボタンを押した瞬間、スピーカーから発せられる独特の匂い、そう、mama!
milkの音には匂いがある。
床にこぼれたアルコール、肌から吹き出す汗の滴、少し蒸した地下室のカビ臭さが入り交じったような、そんな匂い。
しかし、今、僕の鼻孔をくすぐっているのは、今までとは少し違うもの。
もちろん、十分に人肌を嗅ぐことは できるものの、ただただ指先に神経を集中することで滲む汗さえ引いてしまうような、そんな緊張感がこの作品の中央を貫いてる、と思う。
もちろん、彼らはそんなことを 考えもしないだろうけれど、巷に溢るるくだらぬ
ことに耽溺などせず、いつかこの場所にたどり着くために、彼らが少しずつ、本当に少しずつ歩を進めてきたことを誰もが知っている。
雰囲気で茶化すのではなく、ある種“凄みと怖さ”を持ったこの場所は、正直簡単には立ち入ることなんてできない妖しさを持っているけれど、聴けば聴くほどズブズブと抜けられないそんな力を持っているのだ。
何にも捕らわれず自身を貫く意で“まっつぐ”という素敵な俗語があるけれど、彼らのようなまっつぐな音楽家はなかなかにいない。いつもは口元緩く、飲む酒の半分近くこぼしている僕でさえも、今日だけは襟元を正してみようじゃないか、などと思ったり、思わなかったりもする。
小田晶房(map)
驚くほど劇的な、私たちの日常。
きのうと同じに見える今日も、本当はまったく別のもの。
だからふと振り返ると、知らぬ間に大事な何かを失い、そして、新しい何かをこの手にぎゅっと握りしめていることに気づく。
失ったものへの感傷的な思いと、新しく得たものを愛する気持ち……
そんな矛盾したふたつの感情の間に、mama!milkの音楽はすっと入り込んで、
それらを溶かしてしまう。
過去の思い出の中にも、未来のどこかにも、そして今この時にもぴったりの音楽。
アコーディオンを抱きかかえる、あの細い肩や、美しく、力強く、しなやかな指先。
踊るように、優しく愛でるように、あるいは激しく壊すみたいに鳴らされるベース……ライヴでのふたりの佇まいを思い出しながら、この『Gala
de Caras』聞いてい た。
時間の流れや、空間の変化、出会いや別れや成長、涙、笑顔、すべての思い出、そして今。
そんな目には見えない静かな変化を、mama!milkは音に変えてくれる。
このアルバムは、それを聞くあなただけのためにある。そんな気がしてくる。
佐久間成美
あなたは今、本を読んでいるとしよう。
夏目漱石でも太宰治でも安倍公房でも村上春樹でも、漫画の『バガボンド』でも何でもいい。
書かれている時代も、登場人物と自分とのバックグランウンドの隔たりも、
あるいは性別だって違うのに、どうして驚くほど感情移入してしまうのか。
生駒祐子と清水恒輔の造る音楽もまた、これに同様である。
明け方の布団にたらした涎のシミのように甘く少し気恥ずかしく、
ある時は、昔が偲ばれて遠い目になったり、 またある時は、鬱屈したり、滑稽な気持ちになったり、そしてまたある時は、悪だくみを考えたり、街に出たくなったりする。
こうした個人的体験として、どうしようもなく引き寄せられる作品――
私たちはそれらの総称を知っている。
それらは、「名作」と呼ばれる。
塩飽靖子(編集者) |
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